要 望 書
2012年1月20日
新天地を求める会
はじめに
東京電力と政府及び自治体は3月11日の福島第1原発の爆発時に初動を誤り住民の生命を危険にさらした。さらに飯舘村では一部の事業者の操業を故意に認めることにより全村避難時期をいたずらに伸ばし、現在も被曝しながらの企業存続を続けており、事態を悪化させ続けている。加えて、独善的に放射能除染計画を発表して住民の生命、健康を担保に除染を進めている。
この計画は村役場と一部の企業の存続のみを狙った村役場の為の村役場による計画と断じざるを得ない。
要望要旨
無策な行政の指示をひたすら待てば、坐して死を待つという事態に陥るのは必定。従い、我々は自らの意思で生き甲斐を求め『新天地を求める会』を設立して署名運動を始めました。
その趣旨に則り下記提案を政府に届けて政府の施策に織り込むべく活動されることをお願いしたい。
- 新飯舘村を建設して移住する。勿論、個別に他所への移住を妨げるものではなく、現飯舘村に残ることも拒むものではない。
- 無駄な除染予算を新飯舘村の建設資金の原資の一部に充てるものとする。同時に東電とともに国は直ちに住民の資産および物質的・精神的損害に見合った十分な賠償を行い、さらに自主的な新飯舘村建設のための支援を行うものとする。
- 放射能対策はその封じ込めが原則であり、飯舘村を放射能対策総合基地に指定して中間貯蔵施設の建設をする。条件によっては最終処分場をも受け入れる可能性も排除しない。
- 新飯舘村の復興を長期的に支援する為に現飯舘村での自然エネルギー発電事業、放射性廃棄物管理費用などの収益と現状の地方交付税を充当する。
- 新飯舘村に移住出来ない、あるいは残留する村民に対して国は東京電力と共に直ちに住民の資産および物質的・精神的損害に見合った十分な賠償を行い、住民の自発的で自由な生活設計を可能ならしめるものとする。
除染計画の問題点と本提案の背景
- 現除染計画は森林に至っては20年を目標としており、数年間で全面帰村を目指す村の除染計画は根本的に矛盾。さらに政府の掲げる帰宅困難地域等の3分割案が実行されれば村が以前の姿を取り戻すことは最早望めない。
- 村の第1次産業(農業、林業、酪農)の主力の担い手である高齢者層は避難生活に疲弊し、さらに加齢して年々加速的に事業の再開は困難となる。
- 若年層、及び子供を持つ所帯は健康、経済的理由から帰村することは望むべくもない。よしんば一部帰村が実現しても村は限界集落に陥るのは必定。
- 除染は実証技術ではなくむしろ失敗した事例が多い。さらに除染は農地、森林などの生態系にまで影響を与え、台風、豪雨等による自然災害の温床ともなる。まして不幸にして除染が途中で放棄されれば、荒廃した村が残るだけで、費やした税金は無駄になる。
- 避難期間中の経済支援は東電による損害補償及び精神的苦痛慰謝料のみであり、それすら何時打ち切られるか判らない。他方、村役場は危険な除染作業に村民を従事させて生計を立てさせる意図であり、これは19世紀的搾取労働である。これは被害者の復旧に被害者を使役する詐欺的行為である。
- 他方、移住をしたくても既に村の路線価はゼロ評価に落ち、持てる住宅、土地を処分しても新規まき直しをする機会は断たれてしまった。今後、基本的な生活の自立も困難になることが予測され、希望も生き甲斐も無く仮設住宅に住む村民は鶏舎のニワトリの如しである。
- 福島第1原発による放射性廃棄物、焼却灰、廃土の保管、処分を他県に求めることはその拡散であり、受入側の住民感情からも科学的、経済学的見地からも不条理、不可能である。 むしろ我々が犠牲となってその場を提供することは国家的にも意義深いことであり、故郷を手放す意義も、慰めも少しは得られるという苦渋の決断である。
- それでなくても飯舘村は高齢化、過疎化が進み、TPPが締結されればさらに深刻な事態を迎えるのは必定だが、今回の放射能汚染はその抗し難い傾向に止めを刺した。しかしこの災害を奇貨として国の英知を結集して新飯舘村を建設出来ればこれぞ税金の有効利用と言えよう。
- 新飯舘村を受け入れる自治体においても実質的な住民の増加、経済活動の活性化が見込まれ、資金的な負担を一切負わずに耕作放棄地などの活用がされていない地域を提供することとなるため、メリットは大きいと考えられる。
以上