前へ   
2011/7/07/Thu

蛍つかまえた(2011.07.06)





夜8時頃庭で夜空を眺めていると蛍が飛来。

写真は家の網戸にへばりつく蛍(捕まえて家の中に放した)。

写真の薄赤いところは蛍の頭部(蛍の頭は光りません)。

尾部の発光色は何とも言えない魅惑的な薄緑???

言葉では表せない、一度見に来てください。


2011/7/07/Thu

今日も草刈(2011.07.06)

今朝も5時から草刈。

5時の気温は16℃、爽やかな朝ですが、放射能の定点観測では相変わらず6〜7μSV/hと高い。

写真はハウスの外側(中もジャングル状態)のビフォー&アフター。

写真右手はヒマワリ畑、大きいのは60センチくらいに伸びています。

農林水産大臣お手植えのヒマワリより大きくなりました。









ヒマワリはまだ先の話のように思っていたのですがこの成長では直ぐに収穫、その後のことが心配になっています。

ここの畑だけで1万本以上あります、問題は1万本以上ある茎の処分です。

そのまま畑で焼却したのでは放射能が土に返るだけ、やはり密閉炉が必要?

ところがです、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の山下教授(宇宙農学)の実験が新聞で紹介されていました。

先生は密閉炉でなく、生ゴミ分解に使うバクテリアで分解し体積を小さくするのだそうです。先生、一口乗せて下さい。


【避難所にエアコンが設置されました(2011.07.06)】

松川の雇用促進住宅に避難しましたが、今日エアコンが設置されました。

5階なので風通しは良いのですが網戸が無く夜になると虫が入ってくるので閉口していましたが、政府の計らい?ですかエアコンを付けてもらいました。

今晩からは良く眠れるでしょう。

東北自動車道の松川SAから車で3分、お近くにお出での方は是非お立ち寄りを。


【蛍飛ぶ・蛍呼出の術(2011.07.05)】

下界ではこの頃になると蛍が飛び交いますが、ここ野手神では尋常な手ではお目にかかれません。

普通、蛍は気温が高い蒸し暑い日に出て来ますが、ここ野手神では夜になると気温が下り黙っていると蛍にはお目にかかりません。

そんなときには蛍呼出の術を使います。

川辺の鬱蒼とした場所に車を止めてライトを全て消して、ハザードランプの点滅をすると数分で出てきます。

懐中電灯の点滅でも出ます。

昨年は100%の成功率、今年も成功しました。


2011/7/05/Tue

梅収穫時期です(2011.07.05)






写真は既に一部黄色く色付いた梅、屋敷内には10本位の梅の木があり昨年は約100kgの収穫がありました。

昨年秋に剪定したので今年は昨年よりつぶが大きく立派な梅になりました(放射能の性?)。

梅酒、梅ジュース、梅ジャム……、でも今年は出荷制限されていますのでお手元にお届け出来ません。


2011/7/05/Tue

今朝の線量(2011.07.05)

昨晩は雷鳴とどろく豪雨、今朝はさぞかし線量が低くなっているだろうと思いきや、大きな変化はありませんでした。

それよりも、歩行中に4〜5回ほど線量計の警報音(7μSV/hにセット)がしました。

と言う事は、雷鳴とともに降った雨で空中に浮遊していた放射性物質(中川先生は浮遊していないと仰っていますが)は地上に降りたはず。

でも警報音がすると言うことは新たに飛散した?、原発からの放射性物質の飛散が続いていると言うことですよね、そう言えばまだ事故現場に蓋はしてないから。


今朝5時半の線量(μSV/h)
室       内     1.4
玄   関   先    3.8
上の田んぼ1m     4.5
 地   面        6.0
 畑   1m       4.5
 地   面        6.0
下の田んぼ1m     7.0 
 地   面        8.0
ハウス地面        2.0
 天   井        4.5


2011/7/05/Tue

久々の野良仕事(2011.07.04)

野良仕事と言っても昨年のように田んぼにはいつくばっての草取りは無い。

今日はブルーベリー畑など屋敷内の刈払い(草刈)。

写真はビフォー&アフター。

何せ敷地が大きく大変で屋敷内だけでも一人だと3日間ぐらいかかります。

昨年は草刈十字軍(晩酌、二食付き)を募集したのですが、今年は放射能が高いこともあり応募者ゼロです。











2011/7/04/Mon

マスクしたポスト(2011.07.03)





放射能怖さにとうとうポストまでマスクをした?

ではなくて、6月30日で全ての機関(器官?)が止まった村になりました、村で唯一のスーパーも金融機関も郵便局もです。

新聞屋さんも廃業してしまいました。

これでは村を出ないわけにはいきません・・・

どうなるんでしょうねこの村は?




2011/7/04/Mon

のどかな田園風景(2011.07.03)





写真は避難先の福島市松川町の住宅からの眺め。

右前方は、東北自動車道松川SA(スマートインター)、見渡す限り田園風景、やはり田んぼには水をいれ稲を植えれば、吹き渡る風が、緑の香りがします。

ここから40kmほど離れた飯舘村の田んぼは死んでいます。

田んぼが死んでいると言うことは、蛙など田んぼをすみかにしている小動物も絶滅だ。。。

早く田んぼに水を入れてやらなければ(−〜−)・・・



2011/7/01/Fri

私の為に?(2011.06.30)






写真は福島交通が私のために作ってくれたバス停?ではありません。

避難先の雇用促進住宅前のバス停です。

昔、伊藤さんと言う大地主が居て戦後の農地解放で農地を手放したんでしょうね。

5階建ての5階に住んでいます。

エレベータがありませんから年寄には大変です(−−;)

だから空いていたんでしょうね。

でもきれいにリフォームされ、日本赤十字社からの家電6点セットがすえつけられ見晴らしも良いし住み心地は最高なのですが、ここで終日過ごすのは酷と言うもの。

人間なんて勝手なもので、少し忙しいと暇が欲しいと言うくせに、暇ばかりだと仕事がしたいと言う。


【中川先生浮遊していますよ(2011.07.01)】

今朝避難先から帰り定点観測をしましたが、やはり歩行中に時々線量計の警告音(7μSV/hにセット)がなりました。

これは浮遊しているせいと考えてはいけませんか?

大勢の参加者やマスコミに向かって発言するときは確実な理論的な証拠をもって言って欲しい。

田舎の百姓には適当に言っておけではこまります。

私もガンになったら先生の「緩和医療のすすめ」を参考にしたいと思っている1人ですから。



前へ