2011/4/28/Thu
放射線の強さは?(2011.04.22)
振津先生が持参された線量計で、当ふぁーむの水田を計ったところ。
この日の村のモニタリングポストは4μS程度だったが、水田の値は9.57μS。
同じ場所での地上1メートルでは6.94μS。
写真は、ビニールハウスの脇に積もった雪の値。
16.11μS、雪が解けて放射能が凝集した結果。
写真は、ビニールハウスの中、ほうれん草の上、5.06μS。
ハウスの地面は2μS程度でした。
2011/4/28/Thu
放射能の理解から(2011.04.22)
研修所の研修室最後の授業風景です。
20年間にわたりチェルノブイリの医療支援を続けられた、振津(ふりつ)かつみ先生を迎え部落の住民に今回の原発事故による放射能の影響について講義を受けました。
結論は、子どもと若い人は直ちに避難すること、我々高齢者の避難は各自の判断、但し無用の被曝は避けることの様です。
2011/4/25/Mon
積雪10センチ(2011.04.20)
今朝の気温はマイナス0.2℃、あたり一面真っ白、きれいに見えるが放射能を含んだ雪、何とも気味が悪い感じ。
確か去年も4月22日は同じような積雪、今年と違うのはハウスにもみを蒔いた苗箱が750枚あった、今年はハウスの中は空っぽ。。。
【これも放射能の影響?(2011.04.21)】
今朝、勝手口のガラス戸にドスンと言う音とともに鶯が激突即死。
何で?放射能の影響?人間には害のないレベルだが体重比で言えば鶯には脳神経に害を与えるレベル?
先日のミツバチの逃亡と言い何とも不気味な状況が続く。
2011/4/25/Mon
梅に春の淡雪?(2011.04.19)
梅に鶯だが、午後から雪になり10センチほどの積雪、昨日まで鳴いていた鶯は影をひそめ、換わりに満開の梅の花に春の淡雪。
2011/4/20/Wed
なぜ百姓一揆が起こらないの(2011.04.14)
政府は飯舘村を計画避難区域に指定し、1ヶ月以内に避難するよう発表した。
その前には、飯舘村は全ての作物の作付けを禁止する旨の指示もあった。
しかし、避難し作付けを禁止されることは農民にとっては生存権や財産権を否定されたことになる。
この指示を受けてほとんどの農民は将来(人によっては明日の事)の不安を募らせるだけ・・・
村長は住民説明会で“我々は何も悪いことをしたわけではない”と涙ながらに訴えた!
ならば少しでも村民の不安を和らげることに意を尽くすべきなのに、政府は一切なんら配慮する気配が見えない。
財産権、生存権を奪っておいて、ただ避難しなさいでは、“死ね”と言っていると同じこと、安全は裏切られ奪われて不安を抱える村民に少しでも安心を与えることが、今な
すべきことではないか。
取りあえず作付け出来ない分、米もその他の農作物も全て補償します!と言う発言が先にあり飯舘村は危険だから避難しなさいというべきではないか!!!それを言えるのは菅総理大臣貴方だけなのです。
手順が違う、人の心を読めない人が全権力を握るとこんなことになるの?
それにしても、何時から農民は怒らない集団になったのだ。
昔ならむしろ旗を掲げて百姓一揆が起こっていただろうに、何故これだけ痛めつけられても烏合の衆?になった。
もっとも、むしろ旗を掲げようとしてもむしろが無いか。
東電本社前と国会前で座り込みをする人この指とまれ、世界のマスコミが注目します、出たがりやの貴方出番ですよ!!。
【ミツバチ全滅(2011.04.17)】
当ふぁーむの庭先で砂糖水で飼育してきたミツバチ、つい数日前までは天気の良い日にはうるさい程飛び回っていたが最近姿を見なくなった。
巣の中をのぞき込むともぬけのから、これも放射能汚染の結果?
【原発の事故現場で働いている人たちの安全は(2011.04.18)】
東電から今回の原発事故の収束の為の工程表が発表された。
我々被害者は一分一秒でも早い収束を願う者だが、さて、この工程表は大丈夫、安定に6〜9ヶ月と言うが、本当に達成できるのだろうか。
気がかりなのは現場作業者の安全が守れるのかだ?
現場は場所によっては270ミリシーベルトのところもあると報道されているが、従来現場作業者の年間被爆量は100ミリシーベルトだったものを、今回の事故復旧のために250ミリシーベルトに上げた、この行為も理解できないが、私の理解が正しければ被曝線量が250ミリシーベルトに達したら(この現場に一時間いたら)、放射線に被曝するような作業には一年間携われないと言うこと。
防護服を着て手袋を何枚も付けて作業する効率を考えると如何に慣れた人でも効率は落ちる、ましてやこれから夏場になり防護服を着ての作業は気が遠くなるような環境下での作業になる。
工程表を作らせたせい政府も、作った東電も、この工程表本当に守れると思っています。
あくまで東京のどまんなかで放射能被曝の心配の無い所での机上の空論では?
空論でないと言うなら工程表を達成する為の作業者確保は、作業者の安全確保をどのようにしてチェックするのかもあわせて発表して欲しかった。
【村に残りたい(2011.04.18)】
楽しい人生だった、孫にも時々会えるし遠方の孫からは便りが届くし、特に飯舘村の一年は楽しかった。
自分が試してみたかった農業を思いのまま試させてもらった、思い通りに行かなかったがこれを体験させてくれた社長に感謝!感謝!
花いっぱいの飯舘の春、蛍が舞い飛ぶ夏、収穫の秋、極寒の冬も全て楽しい体験だった。
今回のことでは政府に騙され続けたが、今の放射線量程度なら村に残り、放射能の除去について試してみたい。
うまく行って除去が出来てもその頃は農業は出来ない歳になっているだろうが。
土壌の放射性物質除去の手法、残留放射能は米に残るのか、稲藁に残るのか、蜂蜜には残留放射能が残るのか?
試したいことが沢山ある。
こんなチャンスはまたとない、誰か“学研の徒”一緒にやりませんか。
2011/4/20/Wed
放射能を浴びてひときわ鮮やかに?(2011.04.14)
写真は、当ふぁーむの水屋の脇に咲いた水仙。
毎年と言っても去年からだが、ここは日当たりも良く花が咲くのが早い、今年は放射能を浴びたせいかひときわ鮮やかに感じる???
写真は、当ふぁーむの庭先に咲いた紅梅、これもひときわ際立っている。
今日も良い天気、放射能がなければ春の良い景色、仕事もしないで無駄な時間を過ごすのは辛い。
2011/4/20/Wed
風評被害を作っているのは貴方の心?(2011.04.13)
飯舘村はいろいろな意味で世界的に有名になりました。
昨日も飯舘産の露地物の原木栽培の椎茸が出荷制限、摂取制限になりました。
これなどは明らかに規制値を超えているので当然の措置だが、全く言いがかり的な風評被害を聞くにつけ悲しい思いをする。
先日避難先から帰った人から悲しい話を聞いた。
福島から避難してきましたと言うと、そばに来るなという態度をとられたと言う。
何で東京電力の為に発電の場所を提供したところが被害を受け、避難した先(東電の電力を使っているところ)で嫌がらせを受けるのか。
先日孫と食事をした際に修学旅行先が会津から佐渡に変更になったと聞いた。
何故原発から100kmも離れた会津が忌避されるのか、先生にすれば父兄から何か言われる前に先手を打ってトラブルをなくしておきたいとの思いかもしれないが、それにしてもあまりにも周りの雰囲気におもねる態度は理解しがたい。
放射能についての知識がないのは致し方ないとしても、教育者はもっと冷静に判断してほしいものだ。
原発は安全だと教育してきたのは貴方たち、原発村(政府、電力業界、学者)が用意した副読本を無批判に、先の大戦に国民を導いたのも教育。
でも、3月11日までは国民の大半が原発は安全と思ってきたのも事実、反原発の意見を圧殺したのは原発村から広告を貰って来たマスコミ、政府の意を受けざるを得ない某国営放送。
国民こぞって原子力の何かを見直しましょう、安全神話が崩れた今がチャンス!!!
【モルモット伊藤(2011.04.14)】
政府、東電の発表にだまされた(怒!怒!怒!!)、地震でも水素爆発でも原子炉格納容器は破壊されていないと発表し続けた。
でも、原子炉に窒素を封入しても炉内の圧力は上がらないと言う、漏れているからだろう素人でも判る。
特に水素爆発の後、3月15日の放射線量は一桁違う量を示している事が、時系列で数字を見ると判る。
最近漸く圧力容器は壊れていないが、何とかチャンバーや配管から漏れていると報道している、これは“後出しじゃんけん”じゃないか。
最近の報道では、15日の雨と16日の雪が空中の放射性物質を地表に落とした、その後の好天で舞い上がっているとの事だ。
これなども、気象庁は事故後の天候、地形により漏れた放射能がどのように拡散するかシュミレーションしたが、いろんな理由を付けて国民には発表しなかった。
そんなこととは知らない私は、あの雨の中救援物資を運んでいた、ソ連の原爆実験の放射能の雨を体験しているので帽子と傘は使ったが、もう、相当量被曝していることになる。
ならば、これからが旬の山菜を腹いっぱい食べてみよう。
報道によれば高齢者のリスクがはっきりするのは20〜30年後だと言う、寿命が先だ、人間の死亡率は100%、楽しい人生だったことに飯舘村での一年は。
2011/4/13/Wed
今最も必要なこと(2011.04.13)
震災発生以来1ケ月が経過したが、避難民の中には体育館に避難しプライバシーもない悲惨な生活をしている人が多くいる。
菅さんはそんなところを訪ねて、政府も頑張るから皆さんも頑張ってくださいと慰問したという。
何か心の通わない政治の見本?に思えるのは私一人だろうか???
何時まで体育館にごろ寝させるつもりなのだろうか?
それは各々の自治体がやることとでも思っていませんか???
群馬県の片品村は村長の決断と県のバックアップで人口4,000人の村に1,000人の避難民を受け入れ、民宿や旅館に宿泊させていると聞く。
今、東北地方のみならず日本全国の旅館、民宿はガラガラだと言う、ならば政府の決断で全国の旅館、民宿に収容するくらいの政治主導出来ませんか。
2011/4/13/Wed
やっぱり情報操作?(2011.04.13)
飯舘村は『計画的避難区域』の指定を受けた、そして他の自治体では『緊急時避難準備区域』なるわけのわからない区分が指定された。
この発表を受けて感じたことは、原発はまだ危機的状況にあるとの思いだ。
そし追い討ちの様に原発事故レベルが7に訂正された、レベル7と言えば最悪の事故である。
原子力安全・保安院は7でもチェルノブイリの事故と比べ1割程度と発表した、1割程度だから大したことはないとでも言う訳?
マスコミは追随して何処も同じ報道を繰り返す。
東海村の臨界事故はレベル5だったが、レベル5の事故と比較すると何倍も高いと報道するか、チェルノブイリの1割程度とするかによって同じ事故でも軽微に映る。
情報操作の手段、マスコミは無批判に垂れ流すな!!!
原発事故発生以来、政府、原子力安全・保安院の発表が正しければ、野良仕事を開始すべしとブログで再三述べて来た事が裏切られた。
2011/4/11/Mon
ちょっと観点が違いませんか(2011.04.10)
放射能も治まる様子もなし、水田の作付けは先延ばしの指示、ならば統一地方選挙の投票もあるしと新潟に戻った。
今朝の新聞報道によると、昨日、鹿野農水大臣が飯舘村を訪ねられ実情視察した。
その際、菅野村長から水田再利用策の提案があり、農相は『農水省の専門家や有識者からも意見を聞き、提案にどう応える事ができるか考えたい』と答えたとの事でした。
何ともノンビリした危機感のない答えではあるが、現場で何が起こっているか見て欲しいと言う願いがかなえられたので良しとするか。
その際、鹿野農水相は「どういう作物が(放射性物質を)吸い上げる量が少ないのか研究し、具体的な取り組みをしていきたい」と答えたと報道された。
違う!!!
どう言う作物が放射性物質を吸い上げるかを探すべきだ。
放射性物質を吸い上げない作物を作付してどうする?
土中の放射性物質のセシュウムは半減期30年、ゼロになるのは100年以上かかる。
今は如何して土中の放射性物質を除去するかが最大の課題、それと同時に自然環境保護の為にも、水田には水を入れ稲の作付けをする事がやるべき事。
それにしても、村の復興の為に先頭に立ち奮闘する村長の慧眼に感服すると同時に霞ヶ関の危機感の無さを実感した報道でした。
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